数年前から、「子ども食堂」いう言葉を頻繁に耳にします。
「子ども食堂」とは、
主に貧困家庭や孤食の子どもたちに無料や安価で食事を提供する民間の
取り組み。
子ども食堂という名前が使われ始めたのは2012年とされる。
14年に「6人に1人」という子どもの貧困率が公表され、翌15年から全国で
開設数が急増。朝日新聞社の調べでは、今年5月末現在で300カ所を超える。
開催頻度は月1回が全体の4割で最も多いが、週5日以上というところもある。
(2016-10-09 朝日新聞 朝刊 青森全県・1地方)
この活動は、食材から場所、スタッフまで寄付やボランティアで賄っている
ことが多く、今や全国に飛び火して多くの県で活動が広まっています。
ですが、
貧困家庭の子どもが、どれくらい来ているか分からなかったり、
困っている子ではなく、安くて健康的な食事を求めて来ている子ばかりが
利用していたりと、本来の意図に合う結果に結びついているのか疑問視されて
いるのも現状です。
そもそも、都会ならまだしも小さな地域で、そういう取り組みを広めて、
「貧困」という言葉を前提として食事を提供するというのは、
私自身は、躊躇してしまう部分があります。
ざっくり言うと、
利用する子どもにも、その親にも周りから
(あの子は貧乏だから、子ども食堂を利用しているんだ)
と思われる環境を作ってしまうのが前提の上での取り組みというか。
それを善意でやっていますと言われても、当事者がそれを有難いと捉えるのか。
という気持ちの部分です。
私が幼い頃、私の家はとにかく貧乏でした(苦笑)
毎日同じ服を着ているなんてのは当たり前で、
「あんたんち、貧乏やね」
って学校で言われたこともあります。
自分でも分かっているだけに、それを言葉として耳にした時は結構ショックでした(笑)
ただ、母は自分の食事を抜いてでも、私たちがお腹を空かせるような
ことはしなかった。
もしあの頃、「子ども食堂」というこのような取り組みがあったとしたら、
母は、私たち姉弟を、そこへ行かせただろうか?と思います。
「有難いことや。お腹いっぱい食べて来なさい」
と言っただろうか?
「そんなとこ行ったら、恥ずかしゅうて明日からここで住めんなる」
と言って行かせなかっただろうか?
それは、今の時代もそのまま当てはまるのではないかと思うのです。
個々のプイバシーや個人情報に重きを置く現在、
善意という言葉だけで、他人様の懐事情に首を突っ込んでいいのか?
ということも考えなくてはいけないのではないでしょうか?
私は、この取り組み自体は、すごく良いことだと思っています。
でも「貧困」(主旨的にはそれだけではありませんが)という言葉を
含んだ取り組みでなくても、この活動を活かせるのではないかと
思うのです。
「子ども食堂」という言葉が、こんな田舎ではまだまだ聞きなれない言葉だった数年前。
「だがしや まゆみ」では、「子供ランチ」を始めました。
あるお母さんが言っていました。
「もうすぐ夏休み。憂鬱や。
子供がまだ小さいき、自分でご飯作れんから、
毎日お弁当作って置いとくんよ。」
その時は、正直(大変やなぁ・・・)くらいにしか感じてませんでした。
夏休みに入って、上記とは関係ない別の子が、
店に来て、しばらくしてから「気持ち悪い」と言い出し、
嘔吐してしまいました。
店にいた他の子供たちを一旦外へ出させ、保健所で習ったように
漂白剤で後始末したのですが、嘔吐物の中身が「卵かけご飯」だったんです。
卵が悪かったのか、当時のその子の体調が悪かったのか・・・
ただ、嘔吐したその子は5年生で。5年生でも自分で出来る調理といったら
その程度なんだということに気付きました。
私が「子供ランチ」を始めようと思ったきっかけは、
その部分でした。
親御さんに少しでも楽してもらいたい。という思い。
子供に偏った食事ばかりさせたくない。という思い。
ただ、それだけで「子供ランチ」を始めました。
そこに、あの子は貧困だから。とか、
あの子は一人でいつもご飯を食べているらしいから。とか。
そんなのはありません。
知り合いの議員さんに
「まゆみで「子ども食堂」をやったら?」
というお声をいただいているのも事実です。
ですが、私は現状の趣旨のもと「子ども食堂」をするつもりはありません。
自分がやっている駄菓子屋や飲食店は営利目的でやっています。
非営利ではありません。
そして何より、「子ども食堂」は毎日開催しているわけではなく、
月に数回開催している所が多いと聞いていますが、たったそれだけで
子供たちの表情や、悩み、戸惑い。そんなものが伝わってくるのか?
と不思議に思います。
月に数回開催して、満足することよりも、
毎日顔を見合わせて、子供の嘘や悩み、
心の中と向き合ってあげることの方が
ずっと大事なんじゃないかと思うんです。
「だがしや まゆみ」は子供中心に店を開けています。
毎日、毎日色んな子たちが、あっちからこっちから
自転車でやって来ます。
会話の中で。
子供の服装で。
この子のお家は、生活が厳しいのかな?
と感じる子供は正直います。
だからといって、私は、その子に特別な事はしません。
してはいけないと思っている気持ちもあります。
おせっかいも度が過ぎるとなんちゃら・・・みたいに
感じている自分もいるし、そこまで立ち入っていいのか?
という気持ちもあります。
自分の幼い時の貧乏だった時のことが
重なっているからなのかもしれません。
だからこそ、貧乏だとか、片親だとか、そんなこと関係なしに
そういう親御さんでも懐厳しくないお値段で、おうどんや、
お好み焼きが食べられるように。そして何より子供たちが
素直な気持ちをぶつけられる場所の一つになれるように。
それが一番大事なんじゃないかと思うんです。
なんだか伝えたいことが上手く伝わっているか???ですが、
私自身は「子ども食堂」を批判しているつもりはありません。
それはご理解していただけたらなと思います。